大学に入ってからは「お疲れ」とあいさつするようになりました。それは多分、サークルの部室に顔を出す時に「お疲れ様です」と挨拶をして入るからそうなったのかもしれません。なるほど。これも英語にならない挨拶ですね。日本の中でも地方や世代によっても違うだろうと思います。
お疲れじゃないと思うんですけど、そう挨拶するのが普通になりました。
また先輩に会った時も「お疲れ様です」と挨拶します。
2009年6月10日水曜日
お疲れ
メールにこのようなコメントがありました。
再出発
今年に入ってからはこのブログの更新をしていません。すみません。これからはときどき更新していきたいと思いますが、十分な要約などができないと思います。それでも多少皆さんの参考になるようにしたいと思っています。
今日はたまってきたメールを読んでいるところです。一人の学生さんす次のことを書いてくれました。
今日はたまってきたメールを読んでいるところです。一人の学生さんす次のことを書いてくれました。
中学生の時に『ありがとうと言わない重さ』という国語の教材の中で、「バヤルララー」という外国語が 出てきました。しかしこれも直訳では「ありがとう」なのに、意味や言う状況が日本と全く違うということが書いてありました。インターネットで少し探したらこう「ありがとうと言わない重さ」いうページがありました。なるほど。ちょっとやそっとではこの言葉を口にしない訳ですね。似ていても、まったく同じ概念ではないんですね。日本語の「ありがとう」や英語の「Thanks」のようにこの言葉を連発したらとても軽い感じがしてしまうでしょうね。その意味では日本の「お元気ですか」と英語の「How are you?」の違いと少し似ているかもしれませんね。
2009年1月23日金曜日
2009年1月12日月曜日
学内私書箱
学内私書箱に、1月6日までの講義のPowerPointファイルを入れました。ファイルの中には、講義中に見せる時間がなかったスライドもあります。また、スライドを口頭の説明を補うものとして準備しましたが、講義から離れた状況で見る場合には非常に解りづらいと思います。講義には出席していたが、メモが不十分やいくつかのスライドをもう一度みたいというような場合には役に立つと思いますが、スライドを見ただけで期末試験でいい点を取るのは難しいと思います。
2009年1月6日火曜日
2008年1月22日火曜日
試験について
先日の授業で説明したように、テキストに関する試験問題は次のとおりです。
答案の骨組み、例などを前もって準備してください。
講義で強調したように、問題と答案がきちんと噛み合うことが大事です。例えば、上に「本の内容を例示しながら」とありますので、本に出てくる内容を取り上げることがなければいい点をとることができません。結論として「うんぬんが言いたかったと思います」だけではあまり評価することができませんが、その結論の裏付けとして本からの例が豊富であれば豊富なほど高く評価できます。また「できるだけ詳しく」とありますので、当然短い答案では評価が低くなります。
なお、テキストは残念ながら難解なところが多いと思います。内容がいいとは思いますが、本当は姜尚中氏にもっと分かりやすくまとめてほしかったと思います。まだ具体的な質問が届いていませんが、質問があれば本人に対する返事をメールで送った後にこのブログにその解説を載せたいと思っています。試験当日、答案用紙に「難しくてわかりません」と書くだけでは説得力がありませんので、難しくて困っているのであれば、どこがどのように難しいかを説明してくれるようなメールを前もって送ってください。
頑張ってください。
『愛国の作法』において著者の姜尚中氏が一番言おうとしていることは何かについて、本の内容を例示しながら、できるだけ詳しく考察してください。
答案の骨組み、例などを前もって準備してください。
講義で強調したように、問題と答案がきちんと噛み合うことが大事です。例えば、上に「本の内容を例示しながら」とありますので、本に出てくる内容を取り上げることがなければいい点をとることができません。結論として「うんぬんが言いたかったと思います」だけではあまり評価することができませんが、その結論の裏付けとして本からの例が豊富であれば豊富なほど高く評価できます。また「できるだけ詳しく」とありますので、当然短い答案では評価が低くなります。
なお、テキストは残念ながら難解なところが多いと思います。内容がいいとは思いますが、本当は姜尚中氏にもっと分かりやすくまとめてほしかったと思います。まだ具体的な質問が届いていませんが、質問があれば本人に対する返事をメールで送った後にこのブログにその解説を載せたいと思っています。試験当日、答案用紙に「難しくてわかりません」と書くだけでは説得力がありませんので、難しくて困っているのであれば、どこがどのように難しいかを説明してくれるようなメールを前もって送ってください。
頑張ってください。
2007年12月20日木曜日
学内私書箱
たいへん遅くなりましたが、学内私書箱に秋学期に使ってきたパワーポイントのファイルを入れました。
経済学部 --> マスデン --> 比較文化論 --> 課題
のフォルダにあります。説明なしのパワーポイントファイルだけではたいへん分かりにくいだろうと思いますが、どのような話題があったかなどを確認するためには良いかと思います。
経済学部 --> マスデン --> 比較文化論 --> 課題
のフォルダにあります。説明なしのパワーポイントファイルだけではたいへん分かりにくいだろうと思いますが、どのような話題があったかなどを確認するためには良いかと思います。
ギターの演奏を見せた訳
先週(12月13日)の授業の後に次のメールを受信しました。
次のような返事を書きました。
なお、メールでは書きませんでしたが、「独特な弾き方をしている黒人の男性」という表現には少しだけ引っかかりました。果たして「黒人」に注目する理由があったのか、と思いました。
ギターを独特な弾き方をしている黒人の男性のビデオがありましたが、確かに素晴らしいとは思いましたがそれだけで、何を感じとれば良いのか全然分かりませんでした。
次のような返事を書きました。
ギターの演奏を見せたきっかけは「外国人の役割」に関する講義でした。「外国人」という属性で「社会での役割」を予測でないことが多いことを説明しました。例えば、英語圏からの外国人が日本で英語教師になっても驚きませんが、外国人だからといって英語教師になるとは限りません。日本の伝統音楽の演奏家になったり、日本語で本を書く作家になったりするようなことがあります。その例としてBlue Noteの話をしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
アメリカのジャズを代表するこのレコード会社はドイツ出身のアルフレッド・ライオンによって創設されて、ライオンとドイツ時代からの親友で写真家のフランシス・ウルフがと一緒に運営しました。ドイツからの移民が、アメリカのジャズの発展に大きな貢献をすることはだれも予想できないようなことだったでしょう。しかし、さまざまな人間が自由に交流するようになると、こういうことが起きたりします。
「属性偏重」の概念との関連は、「何々人」だから、社会的な役割は当然「何々」と考えるようなことは属性偏重だと言えると思います。「何々人」という属性はそこまで決定的な意味を持たないということです。
さて、以上のような理由でBlue Noteの創設者の話をした後に、「おまけ」のような意味合いをかねて、Blue Noteで活躍した若い演奏者の一人、Stanley Jordanの演奏を聞かせました。ついでにブルーズの仕組みを説明しました。「属性偏重」だけを説明するならStanely Jordanの演奏を見せなくてもよかっただろうと思いますが、ジャズを楽しみながら「この音楽の発展にドイツからの移民が貢献していただなあ」とじっくり考える機会になるかと思いました。
なお、メールでは書きませんでしたが、「独特な弾き方をしている黒人の男性」という表現には少しだけ引っかかりました。果たして「黒人」に注目する理由があったのか、と思いました。
2007年12月13日木曜日
アメリカとサウジアラビアの関係について
長い間、ブログの更新ができず、申し訳ありませんでした。
今日は、先週見せた「華氏911」の関連で、アメリカとサウジアラビアの関係について書いた文章を紹介したいと思います。
アドレスは
http://groups.yahoo.co.jp/group/kokkeikan/message/162
です。読んでもらえれば、「華氏911」を見せた理由を更に深く理解できるだろうと思います。
今日は、先週見せた「華氏911」の関連で、アメリカとサウジアラビアの関係について書いた文章を紹介したいと思います。
アドレスは
http://groups.yahoo.co.jp/group/kokkeikan/message/162
です。読んでもらえれば、「華氏911」を見せた理由を更に深く理解できるだろうと思います。
2007年9月27日木曜日
他人のアイデンティティー認識について
ちょっと付き合っただけで、ましてや容姿だけで人のアイデンティティーを適切に理解することは不可能に近いと思います。
たとえば、学生からこういうコメントがありました。
よくわかります。こう考えると一瞬で他人のアイデンティティーを見抜くことができるはずだと思うことはいかにおかしな発想かがわかりますね。
また、次のコメントもありました。
その通りだと思います。しかし、皮肉なことに、他人のアイデンティティーになると、ずっと変わらないものだと思い込む傾向があるように思います。
たとえば、学生からこういうコメントがありました。
自分自身を100%理解することは一生できないと思いました。
よくわかります。こう考えると一瞬で他人のアイデンティティーを見抜くことができるはずだと思うことはいかにおかしな発想かがわかりますね。
また、次のコメントもありました。
アイデンティティーは一生同じではなく、変化していくものかな??と自分なりに考えてみた。今日紙に自分のアイデンティティーを書いたが、来週も同じものをしたら、書いた中身は今日書いたものと変わっているのだろうか。
その通りだと思います。しかし、皮肉なことに、他人のアイデンティティーになると、ずっと変わらないものだと思い込む傾向があるように思います。
属性偏重と生まれた環境
メールで次の質問が届きました。
私の返事は次のとおりでした。
質問題なのですが、授業で「属性の重要性や意味をめぐっる摩擦が起きる」とあり摩擦が生じる要素として生まれた環境も大きくかかわりますか?
私の返事は次のとおりでした。
生まれた環境は、もちろん一種の摩擦の原因となりえます。例えば、関西生まれと関東生まれなら味付けなど、食べ物をめぐる摩擦はあるかもしれませんね。ただ、味付けを濃くするか、薄くするかをめぐる意見の違いだけだったら、私が言っている「アイデンティティー摩擦」というよりも、むしろ「文化摩擦」と言うべきでしょう。しかし、生まれた環境をめぐる「アイデンティティー摩擦」も起きるかもしれません。例えば、関東の会社に、関西生まれの人が入社したとしましょう。関西出身の新社員は他の新社員と同じように、普通に勤めているつもりなのに、「君の関西弁って漫才の話し方そっくり。なんか『おもろいこと』言ってみて」というふうに、絶えず彼が関西人であるということで特別視すれば、「アイデンティティー摩擦」と言えるでしょう。関西出身の新社員は関西弁などに関するコメントに違和感を感じなければ「アイデンティティー摩擦」とは言えないと思いますが、「なんでそんに関西のどうのこうのと言われなければならないのか。ほっておいて欲しい。」という思いがあるなら、やはり「アイデンティティー摩擦」ですね。この場合は講義で説明した「属性偏重」ということになります。
逆のような「アイデンティティー摩擦」もありうると思います。例えば、関西出身の女性が関東の男性と結婚して、関東で暮らしているとしましょう。夫が関東の味付けや料理を求めるばかりで、妻が関西風の料理を作るたんびにいやがったり食べなかったりするなら、関西出身の妻は怒るかもしれませんね。「私はある程度関東の味付けや料理を覚えて、夫の気持ちに配慮しようと思いますが、夫にも関西の文化などに対してもっと関心を持ってほしい」と思うでしょう。自分自身が大事に思っている「関西」を無視されたり、価値のないものとして軽視されたりしたらいやがるでしょう。別のいい方をすれば、「自分が関西出身の人間であるということを理解して、もっと配慮ほしい」というような思いになると思います。これは一種の「アイデンティティー摩擦」にはなりますが、「属性偏重」ではなく「属性軽視」ということになると思います。(このいうな表現は特に決まっている訳ではありませんが、あえて言うならこのような表現がいいのではないかと思います。)
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