一見「比較文化論」とはまったく関係のない講座だと思われるかも知れませんが、自分と何らかの意味で異なる人と付き合っていくことを通じて、思考を柔軟にして、感受性をより豊かにして、視野を広げていく機会になりうるということで講義の主旨と重要な関係があると思います。
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大学に入ってからは「お疲れ」とあいさつするようになりました。それは多分、サークルの部室に顔を出す時に「お疲れ様です」と挨拶をして入るからそうなったのかもしれません。なるほど。これも英語にならない挨拶ですね。日本の中でも地方や世代によっても違うだろうと思います。
お疲れじゃないと思うんですけど、そう挨拶するのが普通になりました。
また先輩に会った時も「お疲れ様です」と挨拶します。
中学生の時に『ありがとうと言わない重さ』という国語の教材の中で、「バヤルララー」という外国語が 出てきました。しかしこれも直訳では「ありがとう」なのに、意味や言う状況が日本と全く違うということが書いてありました。インターネットで少し探したらこう「ありがとうと言わない重さ」いうページがありました。なるほど。ちょっとやそっとではこの言葉を口にしない訳ですね。似ていても、まったく同じ概念ではないんですね。日本語の「ありがとう」や英語の「Thanks」のようにこの言葉を連発したらとても軽い感じがしてしまうでしょうね。その意味では日本の「お元気ですか」と英語の「How are you?」の違いと少し似ているかもしれませんね。
『愛国の作法』において著者の姜尚中氏が一番言おうとしていることは何かについて、本の内容を例示しながら、できるだけ詳しく考察してください。
ギターを独特な弾き方をしている黒人の男性のビデオがありましたが、確かに素晴らしいとは思いましたがそれだけで、何を感じとれば良いのか全然分かりませんでした。
ギターの演奏を見せたきっかけは「外国人の役割」に関する講義でした。「外国人」という属性で「社会での役割」を予測でないことが多いことを説明しました。例えば、英語圏からの外国人が日本で英語教師になっても驚きませんが、外国人だからといって英語教師になるとは限りません。日本の伝統音楽の演奏家になったり、日本語で本を書く作家になったりするようなことがあります。その例としてBlue Noteの話をしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
アメリカのジャズを代表するこのレコード会社はドイツ出身のアルフレッド・ライオンによって創設されて、ライオンとドイツ時代からの親友で写真家のフランシス・ウルフがと一緒に運営しました。ドイツからの移民が、アメリカのジャズの発展に大きな貢献をすることはだれも予想できないようなことだったでしょう。しかし、さまざまな人間が自由に交流するようになると、こういうことが起きたりします。
「属性偏重」の概念との関連は、「何々人」だから、社会的な役割は当然「何々」と考えるようなことは属性偏重だと言えると思います。「何々人」という属性はそこまで決定的な意味を持たないということです。
さて、以上のような理由でBlue Noteの創設者の話をした後に、「おまけ」のような意味合いをかねて、Blue Noteで活躍した若い演奏者の一人、Stanley Jordanの演奏を聞かせました。ついでにブルーズの仕組みを説明しました。「属性偏重」だけを説明するならStanely Jordanの演奏を見せなくてもよかっただろうと思いますが、ジャズを楽しみながら「この音楽の発展にドイツからの移民が貢献していただなあ」とじっくり考える機会になるかと思いました。