2008年1月22日火曜日

試験について

先日の授業で説明したように、テキストに関する試験問題は次のとおりです。
『愛国の作法』において著者の姜尚中氏が一番言おうとしていることは何かについて、本の内容を例示しながら、できるだけ詳しく考察してください。

答案の骨組み、例などを前もって準備してください。

講義で強調したように、問題と答案がきちんと噛み合うことが大事です。例えば、上に「本の内容を例示しながら」とありますので、本に出てくる内容を取り上げることがなければいい点をとることができません。結論として「うんぬんが言いたかったと思います」だけではあまり評価することができませんが、その結論の裏付けとして本からの例が豊富であれば豊富なほど高く評価できます。また「できるだけ詳しく」とありますので、当然短い答案では評価が低くなります。

なお、テキストは残念ながら難解なところが多いと思います。内容がいいとは思いますが、本当は姜尚中氏にもっと分かりやすくまとめてほしかったと思います。まだ具体的な質問が届いていませんが、質問があれば本人に対する返事をメールで送った後にこのブログにその解説を載せたいと思っています。試験当日、答案用紙に「難しくてわかりません」と書くだけでは説得力がありませんので、難しくて困っているのであれば、どこがどのように難しいかを説明してくれるようなメールを前もって送ってください。

頑張ってください。

2007年12月20日木曜日

学内私書箱

たいへん遅くなりましたが、学内私書箱に秋学期に使ってきたパワーポイントのファイルを入れました。

経済学部 --> マスデン --> 比較文化論 --> 課題

のフォルダにあります。説明なしのパワーポイントファイルだけではたいへん分かりにくいだろうと思いますが、どのような話題があったかなどを確認するためには良いかと思います。

ギターの演奏を見せた訳

先週(12月13日)の授業の後に次のメールを受信しました。
ギターを独特な弾き方をしている黒人の男性のビデオがありましたが、確かに素晴らしいとは思いましたがそれだけで、何を感じとれば良いのか全然分かりませんでした。

次のような返事を書きました。
ギターの演奏を見せたきっかけは「外国人の役割」に関する講義でした。「外国人」という属性で「社会での役割」を予測でないことが多いことを説明しました。例えば、英語圏からの外国人が日本で英語教師になっても驚きませんが、外国人だからといって英語教師になるとは限りません。日本の伝統音楽の演奏家になったり、日本語で本を書く作家になったりするようなことがあります。その例としてBlue Noteの話をしました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88

アメリカのジャズを代表するこのレコード会社はドイツ出身のアルフレッド・ライオンによって創設されて、ライオンとドイツ時代からの親友で写真家のフランシス・ウルフがと一緒に運営しました。ドイツからの移民が、アメリカのジャズの発展に大きな貢献をすることはだれも予想できないようなことだったでしょう。しかし、さまざまな人間が自由に交流するようになると、こういうことが起きたりします。

「属性偏重」の概念との関連は、「何々人」だから、社会的な役割は当然「何々」と考えるようなことは属性偏重だと言えると思います。「何々人」という属性はそこまで決定的な意味を持たないということです。

さて、以上のような理由でBlue Noteの創設者の話をした後に、「おまけ」のような意味合いをかねて、Blue Noteで活躍した若い演奏者の一人、Stanley Jordanの演奏を聞かせました。ついでにブルーズの仕組みを説明しました。「属性偏重」だけを説明するならStanely Jordanの演奏を見せなくてもよかっただろうと思いますが、ジャズを楽しみながら「この音楽の発展にドイツからの移民が貢献していただなあ」とじっくり考える機会になるかと思いました。

なお、メールでは書きませんでしたが、「独特な弾き方をしている黒人の男性」という表現には少しだけ引っかかりました。果たして「黒人」に注目する理由があったのか、と思いました。

2007年12月13日木曜日

アメリカとサウジアラビアの関係について

長い間、ブログの更新ができず、申し訳ありませんでした。

今日は、先週見せた「華氏911」の関連で、アメリカとサウジアラビアの関係について書いた文章を紹介したいと思います。

アドレスは

http://groups.yahoo.co.jp/group/kokkeikan/message/162

です。読んでもらえれば、「華氏911」を見せた理由を更に深く理解できるだろうと思います。

2007年9月27日木曜日

他人のアイデンティティー認識について

ちょっと付き合っただけで、ましてや容姿だけで人のアイデンティティーを適切に理解することは不可能に近いと思います。

たとえば、学生からこういうコメントがありました。
自分自身を100%理解することは一生できないと思いました。

よくわかります。こう考えると一瞬で他人のアイデンティティーを見抜くことができるはずだと思うことはいかにおかしな発想かがわかりますね。

また、次のコメントもありました。
アイデンティティーは一生同じではなく、変化していくものかな??と自分なりに考えてみた。今日紙に自分のアイデンティティーを書いたが、来週も同じものをしたら、書いた中身は今日書いたものと変わっているのだろうか。

その通りだと思います。しかし、皮肉なことに、他人のアイデンティティーになると、ずっと変わらないものだと思い込む傾向があるように思います。

属性偏重と生まれた環境

メールで次の質問が届きました。
質問題なのですが、授業で「属性の重要性や意味をめぐっる摩擦が起きる」とあり摩擦が生じる要素として生まれた環境も大きくかかわりますか?

私の返事は次のとおりでした。
生まれた環境は、もちろん一種の摩擦の原因となりえます。例えば、関西生まれと関東生まれなら味付けなど、食べ物をめぐる摩擦はあるかもしれませんね。ただ、味付けを濃くするか、薄くするかをめぐる意見の違いだけだったら、私が言っている「アイデンティティー摩擦」というよりも、むしろ「文化摩擦」と言うべきでしょう。しかし、生まれた環境をめぐる「アイデンティティー摩擦」も起きるかもしれません。例えば、関東の会社に、関西生まれの人が入社したとしましょう。関西出身の新社員は他の新社員と同じように、普通に勤めているつもりなのに、「君の関西弁って漫才の話し方そっくり。なんか『おもろいこと』言ってみて」というふうに、絶えず彼が関西人であるということで特別視すれば、「アイデンティティー摩擦」と言えるでしょう。関西出身の新社員は関西弁などに関するコメントに違和感を感じなければ「アイデンティティー摩擦」とは言えないと思いますが、「なんでそんに関西のどうのこうのと言われなければならないのか。ほっておいて欲しい。」という思いがあるなら、やはり「アイデンティティー摩擦」ですね。この場合は講義で説明した「属性偏重」ということになります。

逆のような「アイデンティティー摩擦」もありうると思います。例えば、関西出身の女性が関東の男性と結婚して、関東で暮らしているとしましょう。夫が関東の味付けや料理を求めるばかりで、妻が関西風の料理を作るたんびにいやがったり食べなかったりするなら、関西出身の妻は怒るかもしれませんね。「私はある程度関東の味付けや料理を覚えて、夫の気持ちに配慮しようと思いますが、夫にも関西の文化などに対してもっと関心を持ってほしい」と思うでしょう。自分自身が大事に思っている「関西」を無視されたり、価値のないものとして軽視されたりしたらいやがるでしょう。別のいい方をすれば、「自分が関西出身の人間であるということを理解して、もっと配慮ほしい」というような思いになると思います。これは一種の「アイデンティティー摩擦」にはなりますが、「属性偏重」ではなく「属性軽視」ということになると思います。(このいうな表現は特に決まっている訳ではありませんが、あえて言うならこのような表現がいいのではないかと思います。)

2007年7月18日水曜日

試験について

下記のメールを最近私にメールを送ってくれたすべての受講生に送ります。

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このメールを最近私にメールを送ってくれたすべての受講生に送っています。

一人一人のメールに十分に答えることができないですみません。採点の段階で必ずメールを読み直して、評価に入れます。私が答えられなかった質問があった場合もそのことを考慮します。

このメールをブログで公開しています。長過ぎて、ケイタイなどで読むことができない場合はブログで見てほしいと思います。

春学期には思うようにこのブログを更新できませんでした。ブログやメールでの受講生の皆さんに対するサーピスを私が十分できなかったことを試験を採点する際考慮しますが、できるだけ自力でいい点が取れるように頑張ってもらいたいと思います。

さて、講義などでも説明しているように、試験の問題は試験に関する第一部とテキスト(『タテ社会の人間関係』)に関する第二部という構成になっています。第一部では6つほどの問題のなかから3つを選ぶことになります。それぞれは20点満点ですので、前半は60点の配点です。後半は40点で、全体で100点満点です。

マメに授業に出席し、普段からノートをとり、私にメールで要約などを送っているなら十分点がとれると思います。最後の講義でいい忘れたのですが、以前言っていたように、問題の文言と回答がよくかみ合うようにすることを心がけてほしいと思います。例えば、「何々を書いた上で」という言葉が問題にあれば、その「何々」を先に書いてくださいね。あるいは「何々を説明してください」とあれば、数語のメモ程度では足りないでしょう。講義を聞いていない第三者でも、回答を読むだけで意味が十分に伝わるようにしてください。

欠席した講義内容を確認したい場合には、今までのスライドなどを学内私書箱で見ることができます。ただ、普段から講義に出席している場合は、自分自身の講義ノートなどを見直すだけでいいだろうと思います。

後半の『タテ社会の人間関係』について3点に気をつけてほしいと思います。

1. 先日の講義で私が言ったことだけを書いて終わりにしようとしないことです。本を読んでいることを示して欲しいと思いますので、本の内容を具体的に例示していくことが重要です。

2. 講義は本に出てくる「場」と「資格」の概念と本のなかで紹介される例(習慣、慣行、行動パターン、伝統など)との関係について考えながら読む(あるいは読み直す)ことです。「日本人は何々」や「インド人は何々」という結論だけでなく、それは中根氏が言う「場」や「資格」はどういう関係があるかを説明できるようにしてほしいと思います。

3. 詳しく書くこと。ごく短い回答の評価は低くなります。

頑張ってください。

マスデン

2007年6月28日木曜日

メールなどについて

今日、下記のメールをここ数週間の間に私にメールを送ってくれたすべての学生に送りました。

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こんにちは!

私の努力不足で比較文化論を履修している皆さんからのメールがたまってしまい、なかなか皆さん一人一人に対するメールが追いつかない状態です。メールを確実に受信していることが確認できるようにこのメールをお送りしています。また、成績評定の段階で皆さんからのメールを見て、その量と内容を考慮して成績評定を行うことを改めて約束します。

なお、一人一人への注意をすることができておりませんが、よくある問題をここで紹介したいと思います。この文章をブログにも載せますので、ケイタイで全部受信できない、あるいはケイタイで長い文を読みたくない人はブログを見てください。

目次

1. 学籍番号や名前の書き忘れ
2. 件名に「比較文化論」
3. メールの保存
4. 短いコメントや感想
5. テキスト
6. 課題
7. 試験

1. 学籍番号や名前の書き忘れ

通常、ケイタイでメールのやりとりをする場合は名前を省略することが多いと思います。登録されているアドレスであれば、自動的に表示されるからでしょう。ただ、パソコンのメールソフトの仕組みが違うことが多いです。少なくとも、私が使っているメールソフトの場合は、毎回学籍番号とお名前を入力してもらわなければ、せっかく送ってもらったメールを評価できなくなることがあります。成績評定をする際に、皆さんからのメールを学籍番号で検索します。当然、学籍番号がなければメールが見つかりません。書き忘れた場合に、後で学籍番号とお名前だけを送ってくれる人がいますが、この場合には検索して出てくるのは学籍番号の入ったメールのみですので、私が元のメールを探すことになります。数百人からたくさんのメールをもらっていますので、一人一人のためにはそこまではできません。お名前、学籍番号、要約と感想を全部一通のメールにしてくれなければ、評価できなくなります。書き忘れた場合にはまとめ直して送ってください。

2. 件名に「比較文化論」

ケイタイでは件名を省略することが多いようです。しかし、多くのメールをもらっている私の場合はメールを振り分けて管理する必要があります。皆さんが件名を省略すると私の仕事が増えますので、ぜひ協力していただきたいと思います。

3. メールの保存

まめに講義の要約などを書いてくれていれば、期末試験の予習をする段階で大変役に立つと思います。必ず保存してください。ケイタイで保存するよりも、私に一通を送ると同時に、自分自身のパソコンのアドレスにも一通を送ると良いのではないかと思います。このように保存しながら送信した場合には、後からすべてのメールに学籍番号を書いているかどうかなどもチェックできます。学籍番号がない場合は、だいぶ時間が経ってしまっていても「1. 学籍番号や名前の書き忘れ
」で書いたような要領で送り直しください。

4. 短いコメントや感想

メールがないことよりも、短くてもある方がいいのですが、やはりきちんとした要約がいいです。毎回、講義のそれぞれの部分の趣旨や主なポイントなどを要約してメールで送ってくれている場合には、万が一試験の結果が悪くても、「毎回ちゃんと聞いていたのに」ということがわかりますので、思いっきり成績を修正することができます。しかし、断片的なコメントだけだと、そこまでのことがわかりませんので、大きな修正はできないと思います。また、ほとんどの場合、丁寧に要約してくれている学生は期末試験でいい点をとりますので、「試験の準備」と「万が一のための保険」という意味で、きちんと書いてほしいと思います。

5. テキスト

期末試験までには必ず『タテ社会の人間関係』を読む必要があります。まだ手に入れていなければ早急に丸善で購入してください。

6. 課題

HPでも説明しているように、課題の締切は来週の7月5日が締切です。遅れないように注意してください。早目に研究棟受付で提出してもいいです。「マスデン先生のポックスに入れてください」というだけでいいです。

7. 試験

授業で繰り返し言っているように、期末試験を7月19日(木)に行います。通常の試験期間には行いません。どうしても7月19日(木)に試験を受けられない正当な理由が教務課によって認められない場合は追試を受ける権利はありませんので、注意してください。

マスデン

2007年5月17日木曜日

English Conversation

最近、留学生などと英会話ができる時間が設けられたそうです。

  曜日:月曜日から金曜日までの平日
  時間:4:30から5:30まで
  場所:1号館の国際交流センターの近くの部屋
     (国際交流センターで聞いてください)

だれでも自由に参加できるそうです。

戦争と国内暴力の関係

メールに次の質問がありました。
ブログを読むことで講義でわかりづらかった部分も理解することができました。アメリカの銃社会の背景がわかりよかったです。もしアメリカが憲法やアイゼンハワーの警告をちゃんと聞いていたら現在のアメリカは銃による殺人は少なかったのか?そこをもう少し知りたいです。

次の返事を書きました。
ブログを読んでくれていますね。ありがとうございました。最後のご質問は難しいです。アイゼンハワーは銃規制を求めていたのではなく、軍産複合体の監視を呼びかけていました。この警告通りに多くのアメリカが警戒をしていれば、イラク戦争はなかっただろうと思います。しかし、銃による犯罪になると、「海外での暴力による国内での暴力への影響」ということになります。影響があるという説がありますが、立証がむずかしいです。

外交政策において「物事を暴力で解決する」という発想が社会で広く認められるようになれば、国内でも同様の発想を行動に移す人が増えるだろうと考えられますが、上で書いたように因果関係を示すのはむずかしいです。「タクシードライバー」(1976)という名画では、ベトナム戦争から帰ってきた元海兵隊のタクシー運転手がアメリカ国内でも暴力に向かっていく姿を描いています。元軍人の帰国後の暴力(特に家庭内暴力)の場合は統計上の関係は確認できるだろうと思いますが、社会全体(特に直接的に海外で戦争を体験していない人の暴力)については因果関係の立証は大変困難です。

2007年5月12日土曜日

銃社会の背景

4月19日の講義後にもらった複数の受講生からのメールの中に「そもそも銃の所有には何のメリットがあるか?」という疑問がありました。「どうしてアメリカで銃所持が許されているか?」のような問いに答えるなら、まず銃所持の権利を保障するアメリカ国憲法の修正第二条から説明しなければなりません。修正第二条は次のとおり:
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。

後半では銃所持の権利を明記しているだけですが、肝心な理由は前半に書いてあります:民兵が必要だから。ただ、これは現在のアメリカの現状では理解に苦しむ理由なんですね。現在のアメリカでは国家の安全を「民兵」のような素人集団に託している訳ではなく、異常なほどに発達したプロの軍隊が国家や「国家の利益」を守ることになっています。

憲法制定当時のアメリカには常備軍がなく、農民や町の市民で組織する「民兵」に頼っていたことが修正第二条の背景にあります。もう1つ重要なのは、常備軍がなかったというよりも、常備軍に対する不信感があって、むしろ市民で構成する民兵がいいと考えられていたということです。

常備軍に対する不信感は、建国の精神や理念とよく合致します。当時、軍であろうが、大統領やその側近であろうが、一カ所に力が集中してしまうことは民主主義を脅かすと考えていました。力が集中しやすい常備軍は民主主義国家にはふさわしくなく、それぞれの地方の民兵に頼る方が望ましいとの価値観が修正第二条の背後にあります。

簡単にまとめると修正第二条の趣旨は次のようになります:(常備軍を持たない我が国では)民兵が必要。民兵が機能するためには市民(国民)が武器を所有する必要があるから、政府が市民から武器を取り上げてしまうようなことがあってはならない。憲法に「常備軍を持たない我が国では」とは書いていませんが、常備軍がないことが修正第二条の前提になっています。

さて、修正第二条が制定された当時の趣旨はだいたい以上の通りですが、そもそも建国の父たちはなぜ常備軍より、民兵の方が望ましいと考えていたをもう少し説明する必要があるでしょう。今の世の中では「民兵」というと非常に古くさい、非現実的な感じがするように思います。建国の父たちは、素人集団の「民兵」がプロの常備軍よりいいと考えていたと聞いただけで多くの受講生にはぴんと来ないだろうと思います。そこで約170年後のアイゼンハワーの演説を取り上げることにしました。1961年の離任演説のなかで、アイゼンハワーは「軍産複合体」を警戒する必要があることを指摘しました。「軍産複合体」は「常備軍 + 軍需産業」のことですが、発想は建国の父たちと同じです。民主主義のなかでは、なんと言っても「民意」が重要ですが、軍や軍需産業が発達しすぎると、国の政策は「民意」ではなく「軍意」(軍産複合体に関わっている連中がやりたがっていること)で決まってしまう恐れがあるということです。

今までの経緯を大雑把にまとめると、建国の父たちは「常備軍は危ないから、民兵でいこう」と考え、1961年にアイゼンハワーは「民兵をやめて、常備軍にせざるを得なくなってきたけども、軍産複合体の影響力が増してきて、危なくなってきているよ」と警告して、そして今、アイゼンハワーが恐れたように、「軍産複合体」が国策決定へ過大な影響を及ぼした結果、毎日ニュースで見るイラクの惨事があります。

こうして考えると「常備軍ではなく、民兵で行こう」と考えた建国の父たちはなかなか賢かったかも知れないという気がしてきませんか?今の世の中では「民兵」は非現実的な感じがするかも知れませんが、授業で紹介したようにスイスはそれに近い形を堅持しています。しかも、銃は単なる「趣味」ではなく、市民が国を守る道具として、責任を持って家で保管するスイスでは銃による犯罪がアメリカよりずっと低い。

たいへん長くなりましたが、このエッセーを通じて言いたいことは、修正第二条の背後にはばかにできない思想と知恵があるということです。巨大な軍を持つ現在のアメリカでの銃所持の意味が変わってしまい、さまざまの問題が起きていますが、制定当初の思想(常備軍を持たずに、民兵で行こう)を堅持すれば、今のアメリカはずっとマシではないかと思います。