2007年12月20日木曜日

ギターの演奏を見せた訳

先週(12月13日)の授業の後に次のメールを受信しました。
ギターを独特な弾き方をしている黒人の男性のビデオがありましたが、確かに素晴らしいとは思いましたがそれだけで、何を感じとれば良いのか全然分かりませんでした。

次のような返事を書きました。
ギターの演奏を見せたきっかけは「外国人の役割」に関する講義でした。「外国人」という属性で「社会での役割」を予測でないことが多いことを説明しました。例えば、英語圏からの外国人が日本で英語教師になっても驚きませんが、外国人だからといって英語教師になるとは限りません。日本の伝統音楽の演奏家になったり、日本語で本を書く作家になったりするようなことがあります。その例としてBlue Noteの話をしました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88

アメリカのジャズを代表するこのレコード会社はドイツ出身のアルフレッド・ライオンによって創設されて、ライオンとドイツ時代からの親友で写真家のフランシス・ウルフがと一緒に運営しました。ドイツからの移民が、アメリカのジャズの発展に大きな貢献をすることはだれも予想できないようなことだったでしょう。しかし、さまざまな人間が自由に交流するようになると、こういうことが起きたりします。

「属性偏重」の概念との関連は、「何々人」だから、社会的な役割は当然「何々」と考えるようなことは属性偏重だと言えると思います。「何々人」という属性はそこまで決定的な意味を持たないということです。

さて、以上のような理由でBlue Noteの創設者の話をした後に、「おまけ」のような意味合いをかねて、Blue Noteで活躍した若い演奏者の一人、Stanley Jordanの演奏を聞かせました。ついでにブルーズの仕組みを説明しました。「属性偏重」だけを説明するならStanely Jordanの演奏を見せなくてもよかっただろうと思いますが、ジャズを楽しみながら「この音楽の発展にドイツからの移民が貢献していただなあ」とじっくり考える機会になるかと思いました。

なお、メールでは書きませんでしたが、「独特な弾き方をしている黒人の男性」という表現には少しだけ引っかかりました。果たして「黒人」に注目する理由があったのか、と思いました。

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