2006年9月29日金曜日

「アイデンティティー」と「文明の衝突」

メールの中に「ビデオは難しかった」や「『アイデンティティー』との関連がよくわからなかった」などのようなコメントがあったので、ここで説明したいと思います。理解してもらえるようにと思い、説明が長くなりました。しかし、講義を理解する上で重要な概念の説明が含まれているので、ぜひ最後まで読んでください。

ビデオの中のチョムスキーは「中東でアメリカが憎まれるのはなぜか?」に対する2種類の答え方にについて話していました。1つは「アメリカの外交政策は中東の人々の利益や権利等を踏みにじってきたので、アメリカが嫌われている」という答え方。もう1つは「アメリカの価値観、すなわちアメリカの文化を誤解する人、あるいは受入れるができない人がアメリカを憎む」という答え方。チョムスキーが中東の問題を分析する際には前者(つまり、「踏みにじってきたから」)のような分析をしています。また、チョムスキーによると、2001年9月11日後のブッシュやアメリカのメディアの主な解説者は後者(つまり、「アメリカ文化が受入れられないから」)のような説明をしていました。

まず、「踏みにじったから嫌われている」という説明の仕方について若干の解説をしてから、「文化を受入れられないから嫌われている」という説明の仕方について書きます。

アメリカの外交政策がどのように中東の人々を「踏みにじった」かに関する詳しい説明ができませんので、興味のある人にチョムスキーの本を参考にしてもらいたいと思います。しかし、ごく簡単な例を挙げるとイラクのフセイン政権のことが挙げられます。イラク戦争でアメリカがイラクをサダム・フセインから救ったことになっているが、そもそもフセイン政権を支持することによって多くのイラク人を不幸にしたのアメリカです。象徴的な物的証拠として、1983年にアメリカのDonald Rumsfeldがフセイン大統領と握手する写真があります。イラク戦争の口実の1つはフセインによるクルド人に対する化学兵器の使用でしたが、ラムズフェルドがフセインと握手するこの時点で、アメリカ政府はその使用に関する情報を持っていました。アメリカの利益を追求するためには、ある時は化学兵器を使用する独裁者を支持して、ある時は同じ独裁者がいることを口実にその国に対する軍事攻撃を行うようなアメリカ政策は、当然、中東でかなり反感を買っています。

「テロリストなどはアメリカの文化を受入れられないからアメリカを嫌われている」という説明の仕方についてですが、9月11日のテロの直後にアメリカのメディアでこうした説明が多かったです。経済的に発展しているアメリカに対する「嫉妬」だとか、古い価値観を守ろうとする人々にとってアメリカの「自由」が脅威に感じられるなどのような説明の仕方でした。9月11日のテロより10年以上前から話題になっているサミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突」論もイスラムの世界とアメリカとの相克の主な原因が文化的な違いによると分析していました。

宗教等の違いが多少の摩擦の原因となっていることは事実です。しかし、文化的なことがらだけで中東の人々のアメリカに対するいらだちや憎悪を説明しようとすることには、重大な問題があります。すなわち、上で説明した「踏みにじったから」という説明に目を向けなくなる可能性があります。実際、アメリカの為政者にとって「踏みにじったから」という説明は、事実かどうかはともかくとして、非常に都合の悪い説明です。テロの後に、歴史的な背景やアメリカ政策の問題点を原意の1つであるということは「実は、彼らが我々を嫌うことには正当な理由がある」と言っているように聞こえ、このようなことを言う政治家はほとんどいませんでした。ましてや、今までの政策を反省するどころか、むしろもっと強行にアメリカ政府の方針を一方的に他の国に押し付けようとしているブッシュ政権からこういう説明をするはずがありません。

「踏みにじったから」と説明されると非常に都合が悪いのとは裏腹に、積極的な敵との戦いをアメリカ国民に売りつけようとするブッシュ政権にとっては、敵は「民主主義」や「自由」などのアメリカの根本的な価値や思想を打ち砕こうとしているというような説明は、非常に都合がいい説明です。ただ、「我々の自由や民主主義を嫌っている」という説明は、具体的な政策論とは縁がなく、きわめて漠然とした文化的な説明であることを忘れてはなりません。皮肉なことに、歴史を振り替えてみると、中東で一番嫌われてきたアメリカ政策は民主主義や自己決定権を支持するようなものではなく、むしろ民主的に選ばれた指導者をクーデターで追い出し、代わりに独裁者に国を支配させてきたようなことに対する怒りがあります。例えば、民主的に選ばれてイランの首相になったモサデクは、石油業界を国営化しようとしたので、1953年にイギリスとアメリカの操作でクーデターが行われ、モハンマド・レザー・パフラヴィー皇帝(シャーハンシャー)による独裁政治が始まりました。この独裁政治に対する怒りは1979年のイラン革命で爆発しました。

このように、今までの歴史を調べられば、アメリカの一方的な外交政策が中東の人々の反感を買っているという説明がもっともわかりやすく、裏付けが豊富です。「文化」などについて考えなくとも、残酷な独裁者に支配されたり、資源を奪われたりするなどのようなことを好む人はいないので、アメリカ人であろうが、日本人であろうが、少し想像を生かして、自分が同じ立場であればどう思うかについて考えてみれば、十分に中東の人々の怒りを理解することができるはずです。それに比べられば、その怒りを「文化的な違い」や「文明の衝突」として説明することは困難ですが、アメリカではもちろんのこと、日本のようにアメリカを支援する先進国でも、多くの政治家や評論家が歴史的な問題に目をつぶって、一生懸命に文化的原因を説明しようとしました。その方がアメリカ政策の続行に都合がいいからです。

さて、このことと講義で説明した「アイデンティティー」の概念との関係について説明します。授業中に「アイデンティティー」を「自分はだれか」や「相手はだけか」に関する概念だと説明しました。また、強く意識する属性を大きく書いて、それほど意識しない属性を小さく書くことによって、「アイデンティティー」を図にすることができることも説明しました。中東の人々のアメリカに対するいらだちや憎悪を「文化」あるいは「文明の衝突」として理解しようとすることは、彼らの「イスラム教徒」や「アラブ人」などの属性を強く意識すること、あるいは意識させることです。極端にこれらの属性を意識してしまうと、自分自身と共通の属性、つまり「外部の人によつて支配されたくない」や「殺されたくない」、「資源を奪われたくない」が見えなくなります。これは「文明の衝突」論の最大の問題点です。

以上が「アイデンティティー」の概念と、チョムスキーの話の関係です。

最後に一言。講義では、1つの属性にこだわりすぎることを「属性偏重」と呼ぶ、と言いました。以上のチョムスキーの議論や「文明の衝突」の概念などに関する説明を言い換えるなら、「文明の衝突」としてイスラム世界とアメリカとの摩擦のすべてを説明しようとすることは「属性偏重」となります。つまり、「イスラム教徒」等の属性を意識しすぎて、「踏みにじられるの嫌い」という、本人にとってとても重要なところには目がいかなくなります。今学期、同様の、さまざまな形の「属性偏重」を説明していきます。講義での「アイデンティティー」の説明と「属性偏重」の概念との関係に留意しながらこれからの講義を聞いてもらいたいと思います。

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