2012年4月26日木曜日

講義後のメールの書き方

今日、次の思慮深いメールが届きました。
講義の中で「日本人と外国人は根本的に違うかどうか」という問いがあった。私は違うと答えた。何故なら文化が当然違うからである。又、幼い頃からの教育の違いも大きいと考える。後になって考えてみると、問いの中の「根本的に」という語が引っかかった。根本的には、ある意味日本人も外国人も同じではないだろうかと。先生の考えにもある様に「人間国は違っても喜びや悲しみなどは共通する。」という部分には賛同しているのである。今、私自身がこの問いに対して解答するならば「日本人と外国人では根本的に違いはあるものの、共通する部分は多々ある。」としたいと思う。この解答の考え方は講義中の「絵本の例」に共通するものである。それは人間同士の共通点を見いだし、決して早合点することなく互いの習慣や考え方を理解し合うことが、良好な人間関係の構築には必要不可欠であると解釈する。

 次に、「日本人はステレオタイプが強いのでは」という問いに先生は「特にそうでもない」という考えであった。私の意見は違って、日本人はステレオタイプが比較的強いと考えている。但し、他国にも人種差別の問題がある様に一概には言えないのかもしれない。歴史的 に見ても日本人はあまり外国人に対して慣れていないこともあり、外国人に対する理解が薄いと考えている。テレビなどのメディア位しか 触れていない為、メディアで伝えられる印象を鵜呑みにしがちである。又、ある一人の外国人の考え方や習慣を知ると、その国の人々が 全員そうであると一括りにしてしまうのである。私自身はマスコミをあまり信用していない方ではあるが、長年の様々なメディアによる外 国人に対する印象は植え付けられていると感じる。「ステレオタイプは良好な人間関係の構築を阻害する。」このことは何も日本人と外国 人同士の関係のみに言えることではなく、同じ日本人同士でも言えることである。つまり、他人を理解しようと努力せずに、ただ色眼鏡で 見れば良好な人間関係が阻害されるだけでなく、最初から人間関係が全く構築されない結果と成り得るのである。 
この学生は明らかに講義内容について深く考えています。考えた結論は私自身の意見と一致するか、違ってくるかが重要ではなく、考えること自体が重要だと思います。断片的な言葉を少し書くだけでなく、このように考えを詳しく述べるメールをくれると考えていることがよくわかります。このようなメールをたくさんくれる学生のテストの結果はいいはずだと思いますが、万が一よくなくともこのようなメールを重視して良い成績にします。

二段落には、もう一つ模範的だと思うところがあります。つまり、自分の意見と私の講義内容とをはっきり区別して書いていることです。期末試験で「何々について講義内容を要約して」というような問いを出すことがあります。こういう問いに対して、講義で私が説明したこと、主張したことを無視して、「私が思うには」という違う内容だけ書いたら「この学生は講義を聞いていないのか」と思わざるを得ません。しかし、この学生のように「講義では何々、しかし私は何々」というような書き方をしてくれれば高く評価できます。テストにおいて意見を求めていない場合は特に書く必要はありませんが、自分の意見を書くなら、講義内容とどこが共通でどこが違うかについても述べてください。

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