2007年1月25日木曜日

テキストに関する質問

今日、メールでテキストに関する質問が届きました。
『民族という名の宗教』を読み終えました。全て読み、自分なりに考えてみたけれど、どうしてもわからないことがありましたのでメールしました。

P.137の柳田国男氏の言葉で、
「近代化する社会が捨てていくものを、今のうちに急いで拾い集めていかねばならぬ。さもないと完全に失われてしまう」という部分。

P.207のなだ氏の言葉で、
「社会主義国家は、今、われ先にと社会主義を放り出している。ぼくはそのときになってへそ曲がりから、人の捨てるものを拾ってみる気になった。そして、人をまとめる原理の中で社会主義が、抑制された人々、絶望した人々の心の中で、どのような位置を占めていたのか見てみようと思った。」

この2人の“拾っていくもの”というのは、この本の中で同じものを指しているのでしょうか。それとも別々のものを指しているのでしょうか。また、それが一体何を指しているのか、一体どのようなことなのか読み返してもわかりませんでした。

私からの返事:
同じという解釈も成り立つし、違うとも言えると思います。時代遅れとして捨てられていく習慣や考え方の価値を見直すという意味では同じですね。でも、なだ氏が「拾う」場合の価値観や発想が柳田国男氏の場合と違うだろうし、本の最後の方になだ氏が書いた社会主義を「拾う」内容につなげていくために柳田国男の言葉を移用した訳ではないだろうと思います。137ベージの内容も207ページの内容もなだ氏が本全体を通して言おうとしていたと関連があったと思いますが、「拾う」という表現がこと二カ所で使われていることはむしろ偶然かもしれません。

「拾う」ことの意味についてですが、柳田国男氏の場合、「拾っていた」のは日本のあっちこっちで廃れていく伝統のことでした。近代化でいろいろな伝統が途絶えた訳ですよね。例えば、近代的な工場で傘を作ることが普通になれば、伝統的な手法で作る蛇の目傘があまり売れなくなって、場合によってはその代々続いてきた伝統がなくなるようなことがあっても不思議ではないですよね。柳田国男氏が別に蛇の目傘のことを記録していた訳ではないだろうが、似たように近代的な慣行などとの競争に負けて、廃れていく、捨てられていく習慣、慣行などを記録していたと思います。

以上、十分な答えができたかどうかはわかりませんが、こういう質問が届いたのはうれしいことです。この学生は明日の試験でいい点が取れるだろうと思います。

2007年1月22日月曜日

ブログへの投稿をメールでも受信できます

このブログへの更新があった場合、今後その内容を携帯やパソコンのメールで受信できます。詳しくはhttp://groups.yahoo.co.jp/group/hikakubunkaron/を見てください。ただし、リンク情報などが削除されるので、重要と思われる内容についてはこのブログを直接確認してください。

テキストの内容について

学生から下記のメールが届きました。
今テキストを読み終えました。線を引きながら読みましたがところどころ分かりにくいところもありました。私が歴史背景や言葉に疎いせいだと思いますが…。テキストの中で授業の内容と重なるところも多くありました。自分なりにテキストの内容をまとめようと思っていますが、全体を通してまとめようとすると難しいです。

確かに、全体をまとめるのは難しいと思います。いろいろなまとめ方があり得るからこそいい意味で「考え込む」ことになるかと思います。最終的に私から見て「正しい」まとめ方になっているかどうかよりも本をよく読んで内容について考えたかどうかが採点のポイントになります。答案の中でなだいなだ氏が書いたことを具体的に取り上げてそれについて考えたことを書いてください。エッセーとしてうまくまとめてあることはもちろん望ましいですが、「読んで考えた」ことを文で示すことがもっと重要です。

また、「ところどころ分かりにくいところ」があってと書いてありますが、具体的な質問があれば、このブロクへ質問等を投稿しませんか?メールで質問を受けてもいいのですが、できるだけブログを使って他の学生も見られるようにしたいと思います。

一人の学生から次のメールがありました。
今日の講義で先生が、「人種は科学的なものではなく、社会現象から生まれたものである」とおっしゃったことが大変印象に残りました。「民族という名の宗教」を読んでいる最中ですが、民族と人種についてかなり混乱している状態なので、自分なりに答えを導き出せるように頑張りたいと思います。

質問という形ではありませんが、「民族と人種についてかなり混乱している」とありましたので、次のような解説を書いて送りました。
「人種」(race) と「民族」(ethnicity)は、前者が先天的、後者が後天的という形で区別されることがあります。つまり、「人種」(race) が生まれる前に決まる遺伝と関連のある概念であるに対して、「民族」(ethnicity)は文化など、生まれた後に学習したことと関連のある概念ということで、この二つを区別して使うことがあります。しかし、日本語の中で「民族」という言葉がどのように使われるかを調べてみれば、先天的な意味で使われることもあれば、後天的に使われることもあります。概念が人間の先天的な特徴を指しているつもりで使われても、後天的な文化を指すつもりで使われても、人間が作った概念であって、いわゆるはっきりとして科学的な根拠がないことには変わりがありません。そう考えると「民族」と「人種」を区別して使う必要はないかも知れません。両方とも科学的な概念というよりも「通念」や「信仰」としての側面が重要かも知れません。

十分な答えができるかどうかはわかりませんが、何かありましたらこのブログに投稿するか、あるいはメールを私に送ってください。待っています!

テキストの入手方法について

最後の講義の直後に、丸善で売っていたテキストは完売したようです。去年の講義においてもこのブログにおいても、早目に入手するように繰り返し言いましたが、入手しなかった人は試験の準備ができなく、困っていると思います。そこで、テキストを読み終わって、譲ってもいいという人がいれば、私は数冊分を定価で買い、入手できなくて困っている学生に売ります。(書き込みなどがあっても定価で買います。)読み終わったテキストを譲ってもいい人はメールで連絡してください。

なお、アマゾンのサイトを見てみたところ、今日インターネット上で注文すれば、明日届けてくれるそうです。場合によってはコンビニで受け取ることもできると思います。

2007年1月12日金曜日

期末試験について

期末試験に次の問題があります。
『民族という名の宗教』において著者のなだいなだ氏が一番言おうとしていることは何かについて、本の内容を例示しながら、できるだけ詳しく(裏面も必ず使うこと)考察してください。(配点=40点)

本をきちんと読んでいることを十分に示しながら、論理的に、上記の問題によくかみ合うように書いてください。

講義に関する問題について既に講義で例などを示しています。

すべて参照不可です。頑張ってください。

2007年1月9日火曜日

レイシャルプロファイリング関連

次のメールを学生からいただきました。
講義で警視庁の犯罪者のデータのグラフがあり、警視庁のデータでは外国人と一まとめにされていましたが、それは日本が島国だったことにより他の国と関わる機会が少なかったからなのでしょうか。またアメリカ等ではそのようなデータを取る場合は人種などで分けられているのでしょうか。もし仮に人種で区分されているのであれば、レイシャルプロファイリングの原因の一つになるような気がしました。

私からの返事を概ね次のようのものでした。

メール、ありがとうございました。まず、アメリカなどでのデータの取り方について書きたいと思います。

警察がだれに対して職務質問等をするかを決める際に、人種等を考慮することはracial profilingと判断されます。ただ、アメリカでは、犯罪を含めて人種や国籍関連の統計を集めたりすることは通常racial profilingなどと考えられていません。逆にフランスでは人種等に関する統計を集めること自体は差別的な行為、あるいは差別につながるとして禁止されています。正に、フランスでは※※さんが書いたように「人種で区分されているのであれば、レイシャルプロファイリングの原因」になると考えられてきました。しかし、2005年の秋にフランスで貧しい移民による暴動が多発するようになり、この政策が多少問題視されるようになりました。暴動から半年後にHarry Roselmackというアフリカ系ジャーナリストがフランスの人気ニュース番組のキャスターとして起用されました。人種に関する統計すら集められないフランスではaffirmative actionは禁止されていますが、Roselmack氏の皮膚の色と彼の採用は無関係ではないようです。

さて、アメリカ政府などの人種と犯罪関連の統計を

http://www.ojp.usdoj.gov/bjs/


で見てみました。このサイトに載っている図の例をいくつか講義で紹介したいと思います。人種と犯罪関連の統計は発表されていますが、犯罪別にそれぞれの人種は何人捕まっているかなどというようなまとめ方は見当たりませんでした。

因に、人種と犯罪ではなく、移民と犯罪については、ハーバード大学のRobert J. Sampsonなどはアメリカにおいて、移民はむしろ犯罪率の低下につながるという研究結果を発表しています。このような現象は日本でも見られるかどうかとわかりませんが、「移民=犯罪増加」とは限らないという点では興味深いと思います。

マスデン

追伸 「日本が島国だから」というような説明にはあまり今がないと思います。イギリスは島国ですが、移民等に関する日本との相違点が多い。「日本が島国だから」というのは今の状況を理解することにはあまりつながらないと思います。むしろ「島国だから」ということで現状を正当化する形で使われることが多いと思います。