2006年10月14日土曜日

メールの書き方の例

毎週、思慮深い、たいへんいいメールをいただいています。次のメールは中でも特にいいと思います。このような書き方の特徴の1つは感想だけでなく、講義に関するノートもきちんと書かれていることです。10月6日の講義に関するこのメールを13日の講義で紹介しようと思っていましたが、時間が足りなくなりましたのでここで紹介します。

  • 講義内容について

    • 先生が行かれたラスベガスでの話
    • ラスベガスのホテルでの冷房の温度について、文化の違いについてなどの話がありました
    • チョムスキーのビデオ関連の説明
    • 前回の授業で見たビデオがアイデンティティーの話とどのように関わっているのかということについての説明がありました。 
    • 「政策論と文化論」についての話
    • 文化論を出すことで、政策論から目をすらすことができること、「我々」と「彼ら」のように相手との違いを強調しているなどの話がありました。
    • ビデオ「Faces of the Enemy」

    • 前回行ったアイデンティティーの属性を表す表に関しての話
    • 「何々人」という属性が大きくするのではなく、色々な属性があって一人の人間と捉えることの必要性について話がありました。

  • 講義の感想

  •  「Faces of the Enemy」のビデオを見て、「必要なのは銃ではなく敵の概念」という言葉が印象に残りました。
    敵を人間ではなく害虫や動物としてイラストにすることが、人を人として扱わなり、そのような考えが人を殺しても罪の意識を感じなくさせてしまうということがよく分かりました。過去の戦争における虐殺もこのような考えに基づいて行われてしまったんだろうと思いました。殺人を犯した人が共産党主義者という敵がすべて悪いのであって自分は何も悪くないというような発言を聞いて、敵という概念が必要だという話がここによく表れていると思いました。 
     また、先生もおっしゃっていたようにアメリカ軍のプロパガンダの中で、日本兵のことをネガを焼き付けたように皆同じ顔をしているという発言が印象的でした。一人の人間として見るのではなく、皆同じものだとあのビデオを使って兵士たちに刷り込んであったように感じました。
      今回のビデオを見て、"何々人"など一つのアイデンティティーだけを見ることは危険な思い込みを生じさせてしまうことに繋がってしまうと思いました。一つのアイデンティティーがその人物のすべてであると考えずに、色々なアイデンティティーがあって一人の人間だということを私たちは忘れてはならないと思いました。

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