2006年10月28日土曜日

メールと文化について

前回の「ポッドキャストについて」という投稿の中で、メールの中で講義の問題点等を指摘することは歓迎しますが、書き方について注意してほしいということを書きました。その後、気になっていたメールを書いた学生がメールをくれて、授業におけるポッドキャストの役割やメリットなどに関する疑問を表現しただけで、それ以上の意味はなかったことを教えてくれたので、ほっとしました。私から学生への返事の中で次のことを書きました。

就職活動をする際、あるいは就職してから年上の人とメールのやり取りをする際に「短いメールは要注意」と考えてもらえればいいように思います。問題提起や疑問を表現する場合は特にそうだと思います。数年前に、同僚と学生とのメールのやり取りについて話していたことを思い出します。その先生は学生に「メールに一筆を添えてね」と話していると言っていました。この背景に、世代により感覚の違い、世代間の文化的な違いだと思います。40代以上の世代はメールがない時代に育って、「手紙」の感覚が強いと思います。手紙は「拝啓」や「季節の言葉」から始り、本題を丁寧に説明してから最後に挨拶の言葉や「敬具」で終わるような書き方が常識の時代でした。この時代に育った人は、主なコミュニケーションの手段を紙の手紙からメールに代えていますが、まだ昔の「手紙」の常識が脳裏にあります。その世代の人にとって批判や問題提起、誤りの指摘がメールで、挨拶もなく、単刀直入に書かれていると、驚いたり、怒ったりすることがあります。
メールは世代的な「文化」や常識の違いに加えて、顔の表情等がないという問題点があるので、「送信」を押す前にメールを読み直して、「これは誤解を招くことはないかな」、「誤解を防ぐために、前置きを付け加えたり、表現を変えたりするような工夫はいらないかな」と考えるといいと思います。


実は、春学期にメールと必然性のない当たり前(文化)について話したいと思っていましたが、毎回伝えたい内容が多く、あまり話すことができませんでした。今年の春だったと思いますが、朝日新聞に若い世代のメール文化に関する記事がありました。私にとって、興味深かったのは、中学生か高校生の女の子の言葉でした。「絵文字のないメールは冷たく感じる」という趣旨でした。なるほど、私のように手紙の常識が頭にある世代にとっては、単刀直入のごく短いメールをもらって「何これ?」と思うことがあるように、私が書くような絵文字のないメールは、相手によっては違和感があるかも知れません。どっちが正しいという訳ではなく、常識の違い、文化の違いだと思います。双方ともできるだけ自分にとって「当たり前」のメールに関する考え方等が相手にとっては必然性がないということを意識して、誤解を与えないように、そして誤解しないように注意したいですね。

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