ポッドキャストの内容について次の学生からのコメントがありました。
金曜日の講義では、イラク戦争の死者が、64万人と非常に多くなった事を、1部のメディアしか取り上げていなかったこととにより、必要な情報がメディアに出てこないときもあり、この辺に問題があるということがわかりました。つぎに、ポッドキャストを聞きました。ポッドキャストの中では、アメリカメディアについて取り上げられていました。コンゴ戦争という第二次世界大戦後最悪の死者をだのした戦争にもかかわらず、メディアに取り上げられることが非常に少なく、この戦争の事を知っている人が、非常に少なくなってしまっている事を知りました。ここでは、メディアの問題と、自分たちの問題という意識の低さが問題となっていることがわかりました。ポッドキャストは、先生の声が比較的スローだったので、ずっと聞いていたら眠くなってしまうかもしれません。
私が伝えようと思っていた趣旨をうまく要約できていると思います。
もう一人の学生さんから次のメールがありました。
ポッドキャストを使って伝える場合にはどういう利点があるのですか?あえてポッドキャストを授業で使ったのはなぜですか?
ある意味ではこのメールはよくわかります。内容は別にして講義の中でポッドキャストを使うのはあまりよくないだろうと、やってみて思いました。ただ、以上引用した文はメールのすべてです。問題点を指摘することは大事なことで歓迎ですが、伝え方についてはもう少し考えてほしいと思います。
さて、イラクでの死者数の話題の講義の流れの関係について少し書きたいと思います。「敵の顔」というビデオを通して文化論と戦争の関係について考えてきたつもりです。文化論はある意味では単なる観念や発想でしかありません。しかし、場合によって、そういう観念や発想は戦争や差別などのような行動につながります。先週と先々週のビデオでその結果がいかに悲惨なものになりうるかについて考えたつもりです。
これからは「ガイジン」など、問題視される言葉について話します。程度はともあれ、言葉と観念がつながっている以上、言葉と人間の行動に同様の関係があると思います。
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